月波郁と浅黄隆太の話
ふらふらと廊下を進んでいく(ようにみえる)真野くんの背中を見送って、迷子探しに足を戻した。
迷子になった彼女を捜し始めてもうそろそろ20分くらい経っただろうか。
自分が担当した場所は大体探し終えてしまった。
行き違いになるよりは大人しく生徒会室に戻った方がよさそうだ。
そう思った私は、生徒会室を目指して来た道を戻ることにした。
彼女を見つけるのはきっと私ではない。結衣ちゃんの周りには、過保護な王子様がたくさんいる。
必死に探している会長や高瀬くんの様子が手に取るように鮮明に頭に浮かんだ。
そしてふと、さっきの彼の一言に、また口元がゆるむ。
『その鞄、水野さんのだよね』
学校指定の鞄。誰の物でもほとんど一緒だ。
鞄に目を落として、そこについているキーホルダーを揺らした。
茜ちゃん、結衣ちゃん、私で買った、お揃いのキーホルダー。もちろん私の鞄にもついている。
違う所といえば、リボンの色くらいだろうか。よく見なければわからない程度の差である。
「ふふ。お姫様は、誰を選ぶんでしょうか」
ひとりごとと小さく漏らした笑い声は、沈みかけた日に照らされた廊下に吸い込まれていった。
彼女が転入してから、飽きることがない。
彼女を取り巻くいろいろな人たちが、少しずつ変わっていくのが、
面白くて、楽しくて、でも少しくすぐったいような、不思議な気分だった。
茜ちゃんがつけてくれた私のあだ名はむしろ彼女にこそあるもののような気がした。
そういえば、真野くんに会う前。ちょうど捜し始めの頃、彼女のクラスで浅黄くんにも会った。
「水野が行方不明?」
普段表情の変化に乏しい彼も、さすがに驚いた顔をして、今度は考え込んだような顔をした。
クラスになら居るかと思ったが、それもハズレだった。
彼の話だと、放課後高瀬くんと出て行ったきり、一度も戻ってきていないという。
「放課後まではいたけど…」
真顔でそういう彼に、今度は私が驚く番だ。
何を考えていたのかと思えば。一日を振り返っていたのだろうか。
「それはわかっています。確かに結衣ちゃんは放課後、生徒会室にいて仕事を手伝ってくれていたんです」
「じゃあ、どうして…」
彼はそう言うと、また眉間に皺を寄せ始めてしまう。
それこそまるで、このままフリーズするまで考え込んでしまいそうだったので、
ことの経緯を話すことにした。
「ええとですね、会長が先生に呼ばれて、翡翠先輩が部活に行き、私が職員室まで会計書類を届けに出て、
高瀬くんが紫藤先生のところに行っている間にいなくなってしまったみたいなんです」
一息で喋れば、随分と一度に人がいなくなったものだ。
翡翠先輩はもう戻らずにそのまま帰ってしまうし、
私と会長は職員室からそのまま帰ってきて、生徒会室の前で高瀬君と落ち合った。
つまり帰ってきたのもほぼ同時だ。
彼の顔を伺えば、妙に感心したようにふんふんと頷いていた。
「なんというか、偶然が重なったんだな」
「そうですね」
当然の感想である。
「どこか行きそうな所は検討がついているのか?」
「いいえ、なので手分けして探している所なんです」
ふむ。と、彼は頷いて、そして真剣な顔で、
「転入してから結構経つのに、道がわからないんだろうか」
とか、
「だれかに呼ばれたんでなければ、やっぱり迷子か」
などと言うものだから、噛み殺しきれなくなった笑いが口から漏れだしていた。
「月波?どうした?」
「いえ、あはは、迷子って、いいですね。見つけたら叱ってあげないと」
「いや、」
「はい?」
浅黄くんは、またも真面目に、けれどとても優しく笑いながら、
「あいつはそういう変なやつだけど、そこがあいつの良い所だから、叱らないでやってくれ」
と言った。
再び私が笑い出すと彼は不思議そうな顔をしていた。
真野くんと同じように「探そうか」と言われたので、同じように大丈夫だと断ると、
それなら校門を出るまで探しながら帰るというので、お願いした。
見つけたら連絡をくれると言った携帯は鳴らない。
おそらく居なかったのだろう。
なにしろ彼の教室は階段の目の前。
3階から1階まで降りればその目の前には昇降口だ。
2年の教室の中ではずば抜けて最短ルートで校門まで辿り着く。もっとも短い捜索範囲担当だった。
それでも彼は「探す」と笑顔で言ったのだ。きっと探して帰ったに違いない。
もしかしたらまだ探しているかも、そう考えているうちに私は目的の場所にたどり着いていた。
生徒会室は未だに空っぽだった。
携帯は鳴らず、生徒会室には処理途中の書類だけが残っていた。
やはり彼女が来てから、面白くて、楽しい。
そして、周囲の人の内面を、こっそりとのぞいているようでくすぐったい気持ちになるのだ。
空っぽの教室に驚いていた会長に、時間が経っても戻ってこないことに落ち着きをなくした高瀬くん。
鞄を一目で見分けた真野くんに、普段は見せないような優しい笑顔の浅黄くん。
思い出して浮かんでは消える、王子候補の普段は見せないような一面。
私は散らばった書類を片付けながら、大好きなお姫様が、幸せになれる結末をただ静かに祈った。